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2025年4月16日 説教タイトル:心を新たにされて主に従う弟子となるために
聖書箇所:ローマ12章2節、マタイ28章18節〜19節
はじめに
皆さん、こんにちは。
今日は「イエス様に敵意を抱いた人たち」というテーマを通して、私たちがどういう心で主に従うべきか、また弟子としてどのように歩むべきかを考えていきたいと思います。
冒頭にローマ12章2節の御言葉を読みました。
「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。
そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
これは、私たちにとってとても大切な問いです。
――私は本当に、神の御心を中心に生きているだろうか?
この世の価値観や、人の評価に流されていないだろうか?
今日のメッセージでは、イエス様に敵意を抱いた宗教指導者たちの心の姿を見ながら、私たちの心の中にも潜むプライドや恐れに光を当てていきます。そして最後に、主が私たちに望んでおられる「弟子としての歩み」に目を向けていきましょう。
第一のポイント:イエス様に敵意を抱いた人たちの姿
祭司長と長老たちは誰だったのか?
当時のユダヤ社会における宗教的・政治的なリーダーたちは「サンヘドリン」という議会のメンバーでした。
彼らは一見、信仰の守り手のように見えましたが、実際は自らの地位や秩序を守るために動いていました。
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祭司長は神殿礼拝の中心的存在で、ローマと協力関係を築き、政治的安定を優先していました。
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長老たちは律法に精通し、社会秩序を重視する知識人たちでした。
では、なぜ彼らはイエス様をこれほどまでに憎んだのでしょうか?
(1) 宗教制度が脅かされたから
イエス様は彼らの偽善や形式的な信仰を厳しく非難されました。
「この民は口先ではわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。」(マタイ15:8)
外側の信仰ではなく、内側の真実を問われたとき、彼らはプライドを傷つけられ、イエス様に敵意を持ちました。
(2) 民衆の心がイエスに向かっていたから
人々はイエス様の教えに驚き、病が癒され、悪霊が追い出され、死者さえもよみがえるのを見て、「この方こそメシアだ」と期待しました。
すると彼らは恐れ始めます。
「このままではみなが彼を信じるようになり、ローマ人が来て、我々の国と民を滅ぼすだろう」(ヨハネ11:48)
ここには、真理よりも立場や安全を優先する心があります。
(3) イエス様が「神の子」と言われたから
ユダヤ人にとって「人が自分を神とする」ことは最大の冒瀆です。
「あなたは神を冒瀆している。人間でありながら、自分を神としているからだ。」(ヨハネ10:33)
彼らはその言葉を許せず、偽証を立て、イエス様を十字架にかけるまでに至りました。
第二のポイント:彼らの心の中にあったもの
彼らの行動の裏にあったのは、「神への信仰」ではなく――
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プライド、自分は正しいという思い
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名誉や地位に対する執着
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自分の支配が崩れることへの恐れ
彼らは「信仰者のふり」をしていましたが、実際には自分自身を守るために動いていたのです。
私たちも、信仰のように見える行動の背後に、「自分を正当化したい思い」が潜んでいないか、静かに主の前で吟味する必要があります。
第三のポイント:復活されたイエス様の命令
マタイ28章18節
「わたしには、天においても地においても一切の権威が与えられています。」
この復活の主は、「あらゆる国の人を弟子としなさい」と命じられました。
弟子とは何でしょうか?
単に「クリスチャンになること」ではありません。
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主に従い
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主の命令を守り
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主との関係の中で成長していく
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訓練された学習者であり、やがて他の人を導く者となる
私たちの周りにも、フィリピン、ブラジル、アメリカ、中国、台湾など、あらゆる国の人々がいます。
私たちの教会の使命は、彼らを本当の弟子へと導くことです。
教会は、ただ教会員の数を増やすのではなく、霊的エネルギーと時間をかけて「本物の弟子」を育てていく必要があります。
おわりに:私たちに問われていること
今日、私たちの心の中にも祭司長や長老たちのような「プライド」や「恐れ」がないでしょうか?
形式だけの信仰にとどまっていないでしょうか?
また、弟子づくりという使命に本気で取り組んでいるでしょうか?
主は言われました。
「心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。」
今日、私たちも主の前に静まりましょう。
主の御前で心を開き、悔い改め、新しくされ、キリストの弟子として再び歩み始めましょう。
お祈り
愛する天のお父様、
今日、イエス様に敵意を持った人々の姿を通して、私たち自身の心の状態を見つめ直すことができました。
私たちのうちにあるプライドや恐れ、形だけの信仰を取り除いてください。
あなたの御言葉によって心を新たにし、キリストの弟子として歩むことができるよう、聖霊によって導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
2025年 教会目標
新年の決意:「本物の弟子となる」
2025年が、主の恵みと平安に満ちた祝福の一年となるよう、心からお祈りいたします。
今年、私たち三次シティバイブルチャーチは、「本物の弟子となる」というテーマを掲げ、信仰生活をさらに深めることを目指します。そのために、次の3つの決意を持って共に歩んでまいりましょう。
1. キリストのことばにとどまり、真の弟子として歩む
「わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
― ヨハネ8:31–32
主イエス・キリストの弟子として、私たちは日々、みことばにとどまり続けるよう招かれています。それは単に聖書を読むことにとどまらず、祈りを通して主との交わりを深め、みことばを生活の中で実践することです。
イエス様はこうも語られました。
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」(ヨハネ8:12)
今年は、闇ではなく光の中を歩む人生を選び、キリストの光を映し出す真の弟子として生きましょう。
2. 真理に立ち、キリストにある自由を体験する
私たちは、イエス・キリストを信じることによって、罪の奴隷から解放されました。しかし、実際に自由を味わいながら生きるためには、自らの意志と日々の歩みの中で、真理にしっかりと立ち続けることが必要です。
一度の祈りですべてが変わるわけではありません。
たとえ悪霊が去っても、私たちの内にある古い思考や習慣が変えられるには時間がかかります。心と考え方が変えられなければ、私たちは罪の奴隷ではないとしても、劣等感や敗北感の中にとどまってしまうことがあります。
2025年は、みことばの真理に立ち、主にある自由を実際に体験する一年としましょう。
3. 真理を適用し、主にあって治める者となる
「恵みと義の賜物をあふれるばかり受けている人たちは、一人の人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するようになるのです。」
― ローマ5:17
弟子とは、イエス・キリストを個人的に知り、その権威を委ねられた者です。
私たちはキリストにあって勝利者であり、この世の流れに流されるのではなく、真理を適用して「治める者」として生きることができます。
主が与えてくださる恵みと義によって、今年、私たちはあらゆる場面で勝利を体験し、影響力を持つ人生を歩んでいきましょう。
2025年――
この一年が、キリストにある真の自由と勝利に満ちた年となることを信じ、共に本物の弟子として力強く歩んでいきましょう。